1、昭和35年(1960年)ころの北栄小学校下のようす
この写真は、今の桜ヶ丘の上空から明和町をながめてとったものです。その当時、校下は野山であり、一面の松林でした。多治見西高校から細い山道がついていました。炭焼きの窯あとや茶わんを焼いた窯あとがいたるところにありました。きつね・たぬき・いのししなどの野生動物、とんぼ、きじ、こじゅけいなどもたくさんいたようです。
今のアデンアラビアの喫茶店の付近に数件の農家があっただけで人々が住んでいない山ばかりの地域でした。
2、昭和48年(1973年)ころ明和町の造成開始のようす
根本の方からは早くから開発がすすみ、旭ヶ丘団地・旧市営住宅へと住宅建築が進みました。岐阜県住宅供給公社の開発で明和町の家々がこのころつくられはじめました。大型のブルドーザーやダンプカーが行き来し、野山を整地していることがわかります。あの豊かな野山のかげはもうみられません。
3、昭和52年(1977年)ころ明和町第2期分譲のようす
ずいぶん明和町の家もふえてきました。北栄小学校の土地づくりもはじまっています。一区画毎の聖地や道路建設が進み、家も上のほうから建てられています。明和幼稚園(52年)・旭ヶ丘保育園(49年)がもうこのころ建てられています。そして、空き地もまだまだたくさんあります。
昭和53年北栄小学校の2ヵ年計画で学校の新設工事がはじまる。
・昭和53年8月11日起工式
・昭和53年11月14日校名決定
・総工費 5億6千万円
・校地総面積 36,086㎡
◆昭和54年の北栄小学校用地
昭和54年に北陵中学校開校
昭和55年2月 北栄校区・校章決定
・北舎完成 根本小学校より移設(3月)
・北栄小学校開校(4月)
・プール完成・体育館の起工式・南舎完成(8月)
・校歌制定(9月)
・開校式(10月)
4、昭和56年(1981年) 北栄小学校竣工記念の年の校下のようす
この写真は校舎の完成を記念して校下をとったものです。よく見ますと、北舎はまだ全部完成していません。815人(22学級)の児童で開校されました。学校の下の旭ヶ丘や明和町の下の方はまだ空き地がみられます。まして、ひばりヶ丘はパート1ができたばかりです。また、名鉄緑台は野山そのままです。
◆昭和56年3月北栄小学校竣工記念の航空写真です。
昭和58年3月 プレハブ教室2教室増設
・校舎増築工事竣工式・日向山遊歩道完成(8月)
昭和59年3月 北舎9教室完成 1億4千万円
・交通サーキット完成(8月)
5、 北栄小学校5周年記念の年の校下のようす(1984年)
5才になった校下のようすです。ひばりヶ丘の分譲が始まり、この地域から通学する子どもたちがふえてきました。30-40分(3km)もかけての登校のうえ、4車線の市道の交通量が増え、通学路に歩道橋がほしいねという声もチラホラ聞こえてきます。
◆北栄小学校5周年記念の航空写真(昭和59年 1984年)
・県営住宅との間の歩道橋もまだありません。
昭和60年3月 北栄小学校5周年記念行事実施
・開校5周年記念の日時計完成
昭和62年12月 虹のフィッシュランド(観察池・濾過機小屋)完成・あさひがおか歩道橋完成
昭和63年 藤棚完成
平成元年9月 校歌碑除幕式
・北栄小学校10周年記念行事実施
6、平成2年(1990年) 北栄小学校10周年の年の校下のようす
校下の真上から取材した航空写真です。道路と家ばかりの振興住宅地域のようすがよくわかります。新しく、ひばりヶ丘・パート2・希望ヶ丘など大規模宅地造成が継続されています。1200人の児童が31クラスで学んでいますが、まだまだ増加の傾向です。
平成2年 旭ヶ丘児童センターオープン
平成3年3月 歩道橋完成(旭ヶ丘10丁目交差点)
平成4年 発明工夫指導優良校受賞記念として百葉箱設置
25周年記念の航空写真 2004年5月6日撮影